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L10N, 言語の違いと, それ以外の違い

localization misc

流れが違う、ノリが違う、常識が違う

翻訳者が経験を積んでいくと意識するもののひとつに、「横文字を縦文字に直すだけではない要素」がある。

それは「文化/言語に固有の論理」というか、「文脈が示す次の展開」、あるいは、「"これまで言ってきたことを踏まえると次は当然こうなるよね"の流れ」が違うということ。
これはマーケティング資料なんかでもあるし、会話でもある。もちろんデジタルゲームでも。

マーケティング資料などで、英語のプレゼンテーションを日本語にするとき、文単位で見ると問題ないのに、全体を見るとぎこちなく見えたりした経験はないだろうか? もちろん言語的な違いも大きなものだが、ここにはそれ以外にも「不自然さ」を醸しだす要素がある。

別の例では、心理学者の故・河合隼雄氏と作家の村上春樹氏も、「村上春樹、河合隼雄に会いに行く *1」のなかで、英語のスピーチを書くときは絶対に日本語で書いてから英語に直すことはしない、と言っている。

乱暴に要約すれば「考え方をその言語ロケールにしなければ、自然な文章は書けない」ということになるのではないか、と LYE は思う。

英語版 FF X の例

デジタルゲームの例。Final Fantasy X の英語版では、ヒロインのユウナが (身を呈してユウナを守り、<ネタバレ一応回避> してくれた) 主人公のティーダに向けて言うセリフが「ありがとう」から「I Love You」になっている *2ところがある。

ここには「マーケティング的にそっちのほうが受ける」という判断もあったかもしれないが、「前後の流れからいって、ここでありがとうでは意味が分からなくなるのではないか?」という判断もあった *3 のではないか? と、LYE は考える。

比較文化学ってどうかしら

海外展開を考えてゲームを作るときにこの点をどのように応用できるか、と聞かれたとき、現時点で LYE は答えを持ちあわせてないけど、土台として、「日本固有で、北米 (Or 別のターゲット文化圏) では理解されないことがらは何か?」を考えていくなら、比較文化学の助けが必要なのでは? と思ったりしてる。

LYE は比較文化学の超入門書を 1、2 冊読んだだけなのでまったくの素人なわけだけど、日本のデジタルゲーム、特にストーリーテリングの面ですんなり受け入れられる (摩擦が発生しない) ものを考える上で具体的に役立つ情報が、すげー埋まっていると思うんです。このへん、せっかく時間はあるので、今後もうちょっと突っ込んでいきたいなと思っています。

# ヤマもオチもイミも無いエントリになった気がする。自分が知らないことを避けて分かってることだけでものを書こうとするといつも尻すぼみになってしまう。もっと知識が要るなあ。

*1:リンク先 Amazon.co.jp

*2:リンク先 LYE の Tumblr、原典はMinako OHagan 氏のプレゼンテーション

*3:日本語:表面=感謝、裏面=愛情が英語の "I Love You" では逆になるが、そのほうがすんなり理解できると判断した