ゲーム翻訳者 = Geek イタコ

今日はチラシの裏の日です。今日は対応する日本語がない英語をどうやって翻訳したらいいのか? ってことから「ゲームの翻訳って仕事」自体にについて考えていました。

日本語がない!

昨日 MW2 の日本語版動画を見てから Twitter でもつぶやいたのだけど、やっぱり「現代戦の米兵が口にする汚いスラングには、今のところ対応する日本語がない」と思います。
アメリカ兵はベトナム戦争で新たな言語を作り終えているし (ベトナム帰りの息子が汚い言葉を覚えて帰ってきた!とママが困惑する現象などもあり*1 )、その後もろくでもない (LYE の私見) 戦争や軍事介入を通じてその汚さはソフィスティケートされているし。
一方で日本の軍隊語のステレオタイプというのは、全人口の何割かが想像できるくらい認知されているものに限ると「〜であります!」とか「貴様ああああ歯を食いしばれ!」とか「たるんどる!」みたいなものになってしまう。太平洋戦争時代の軍曹ぽいし、そもそも単語単位で見ると汚くない。むしろ丁寧。戦後で見ても、自衛隊の人が口汚く罵る様というのは少なくとも僕は見たことがない。
だから乱暴な言い方をすれば、「MW 2 のダイアログもナラティブも、どんな日本語にしたところで不自然」なんじゃないかと思います。それを不自然だ! と言い続けることもできるし、大体これでいいんじゃない? という人がいてもおかしくない。

これは以前Audio Contents と文化の違いでも少し触れたのですが。

ラジオなんかの場合、ただあっちの DJ 口調を日本の DJ 口調にすればよいのではなく、なだぎと友近のディラン&キャサリン的 (以下、長いので D&C 風)に、「(いささかステレオタイプであっても) あっちの DJ の吹き替え風」にしないと味がでない。
でもそれって映画でも浮いてしまうわけで、「自然な仕上がり」には絶対ならない。
ゲーム翻訳って「意味が通じるようにする」だけじゃスタート地点にも立っておらず、それを「英語版プレイヤーと可能な限り同じゲームエクスペリエンスを提供できるレベルにする」ことが仕事のメインみたいなものですから、この問題は結構重要なのです。少なくとも、情熱を持ってゲーム翻訳に従事する者としては。
ここらへん、考えた末に D&C 風にしても、普通にプレイする人たちにとっては「不自然さ」だけが伝わってしまうので「もうちょっと何とかならなかったのかよw」「翻訳調過ぎて萎えた」なんて言われてしまうんですね。
でも仮に日本の DJ 風にしてたとしたら雰囲気にそぐわないと思うのですよ。こういった不自然さは違う文化圏のゲームを持ち込む際には避けて通れない。
じゃあどうするよ?ってハナシなんですが、どうしようもない。ああどうすればいいんだ。結論がないのでここらで終わりにしておきます。どなたか良い案があったらぜひ教えてください...

この件、MW2の例の件とも併せて色々と考えてみました。

戦場に降りていくということ

優れたゲーム翻訳を実現するには、オリジナルコンテンツという暗闇の中、その底の底まで降りていって、新たな言葉を獲得するしかない。イタコのように自分の中にゲーム世界を降霊させて、そこで紡がれているものをつまみ出すしかない、というのが今回 LYE がたどり着いた答えです。

この件で、フルメタルジャケットの翻訳担当者変更事件はひとつの示唆を与えてくれると思います(戸田氏を批判しているわけではなく、ベトナム戦争に参加した兵士のセリフを訳した原田氏の姿勢についてです)。
参考:Wikipedia フルメタル・ジャケット
(有名な逸話なのでご存じの方も多いと思いますが、改めてまとめてみます)

  • 戸田奈津子氏が翻訳を担当
  • キューブリック監督は海外版の翻訳を再翻訳して品質をチェックする*2徹底した完璧主義者
  • 戸田氏翻訳では F ワードが正しく (つまり "十分に" 汚く) 訳されていない! とキューブリック監督激怒
  • 急遽、原田眞人氏に依頼、監督と連絡をとりながら翻訳
    • You can come over to my house and fuck my sister!
      家に来て妹をファックしていいぞ!
    • Born to kill
      生来必殺
      などの素晴らしい日本語を発明
  • 再翻訳を読んだキューブリック監督満足

「家に来て妹をファックしていいぞ!*3」も「生来必殺」も発明された日本語です。それ以前には存在しない言い回しです。原田眞人氏がフルメタル・ジャケットの大地に降りていって獲得してきた表現です。
上で自分のブログから引用した DJ の件もそうですが、どうやら「英語と等価となる日本語がない場合は新たに、自分がオリジナルの中から産み出すしかない(勝手に言葉を作るということではなく、自分の頭の中に世界を構築してキャラクターに日本語でしゃべらせる、というニュアンス)」というのが今のところの LYE の答えのようです。

その作業は翻訳者だけでなく、ディレクターやマネージャーも担当することでしょう。GoW や LBP のローカライズでは、そういうことが行われたと思います。日本語での世界観を担当者/担当グループメンバー全員が「イタコ」または「イタコシステム」として機能し、処理対象の英語を"私 (たち) はこう思う" という全然替えが効かない、全然業務的でないシステムを通して日本語化しているのではないか? と予想します。
降霊儀式みたいですが、儀式の間があるわけではありません。普通にミーティングしたり、ひとりでぼーっと考えたり、充実した資料を作ることを通じて実現されていくものでしょう。
そういう "儀式" は全然業務的ではありません。業務というのは基本的に「替えがきかなければ困る」もののはずです。誰かにしかできない業務があると会社が回りません。でも翻訳と言うのは基本的に替えが効かない要素を内包している作業だと LYE は考えます。特に今議題にしているようなエンターテイメント翻訳においては。
この表現は開発や制作といったクリエイティブな仕事をしている方には、あるいは今更何を言っているのだと思われるかもしれません。でも著名な文芸/映像翻訳者、そして特殊な分野の文書翻訳を除くと、翻訳業とは替えがきかなければ困る職種なのです。
だからあるゲームが見事な翻訳を手に入れるには、「翻訳/ローカライズという仕事をどのように扱うか」をハッキリさせなければいけないはずなんです。

新しい質問

新しい質問をテーブルに上げてみます。
「ゲーム翻訳はどちら側にある仕事でしょうか?」
私の答えはハイブリッドです。
替えのきかないイタコになるには、近年のビデオゲームはあまりに規模が大きく、時間の流れも早く、コンテキストが把握しにくく、おまけにゲーム自体が今、「映画」と肩を並べるメディアがどうかを証明しようとしている最中です。
その一方、今やゲームは「アート」と呼ばれるようにもなりました。そしてゲームのローカライズとなればそれは「他文化から持ち込まれたアート」です。だから業務的、工業的に対応したらアートはアートでなくなります。
「ハイブリッド」が答えでは、上で「ハッキリさせよう」って言ってるのと矛盾していますが、現状、人によってこの認識がマチマチであると感じます。この認識が「優れた翻訳を世に出そうと思ったら、ハイブリッドである必要がある」に変わったら、意思決定を積み重ねていったのちに出てくるものの質とか色が変わるんじゃないか、って LYE は感じています。

コンピュータプログラムという形のアートなんだから、その翻訳を担当するために Geeky なイタコが必要になってもいいはずですよね!

今日はチラシの裏なのでこのあたりで


なお、昨日公開になった MW2 のトレーラーを見る限り、致命的な誤訳箇所を除けば文章的な翻訳品質は高いと LYE は思いました。

*1:他にも色々帰還兵の問題はありましたが興味のある方はティム・オブライエン氏の小説をお勧めします

*2:この再翻訳&チェックプロセスにはその性質上、直訳調の日本語訳が残りやすいという弊害もあります

*3:この表現で僕がシビれたのは、あの時代に Fuck を「ファック」としたことです。ヤルとか犯すとかじゃなくて、ファック。セリフのリズムや躍動感を壊すことなく、ハートマン軍曹の畳み掛けるような話し方にもマッチしており卑猥さもぎりぎりに抑えられている。