「漫画/ラノベのアニメ化」から「ゲームのローカライズ Direction」にとって有益なヒントは得られるか

※ご報告: 本日よりmiscタグ付きのエントリはLYEのチラシの裏となりました。

ここのところ、「とある科学のレールガン」と「とらドラ」(たまたまどちらも長井龍雪氏監督) を見ていて、どちらもラノベ原作なんだなーとか考えていて思いついたことをそのまんま書きなぐってみる。

自分はアニメ製作については何も知らないし、ローカライズ業界の人間といっても翻訳作業に携わるのみでプロデューサー的なことは一切知らないので、ぶっちゃけどちらも素人ですが、翻訳の現場にいる人間として、エンタメ系の (僕の場合はゲームの) 翻訳はどうあると "自分が" 幸せかを考えたら少しは気持ちもスッキリするかもしれないなあと思って、書いてみます。

(メディア|言語)が違うので原作と完全に同じにはできない

  • 全ての翻訳は誤訳である
  • 原作とアニメは別物
  • 言語的、文化的、そしてそれに関連する嗜好の違いが存在するので、「翻訳」ではなく「ローカライズ (地域にあわせた対応)」をする
  • ラノベの描写をそのままアニメにすることはできないので、アニメという表現方法で代替する

その差分を吸収、そして活用するためにはディレクションが必要で、その指針として「オリジナルの深い理解」が求められる。これがなければ (アニメオリジナル話|アドリブ的な意訳) は失敗する (eg: 原作にあったストーリー上とても大切な感情描写が表現されていない (アニメ)、英語でしか機能しない言葉遊びが直訳されて意味不明 (ゲーム)) 。深い理解なしにここらへんの判断はできない。むしろ優れたイタコとして「原作者を代弁できる」ことを目指すべきなのかもしれない 。もちろんアニメーションならば自由にアレンジすることもあるのでそこら辺は全然違うけれど、ある種の原則を語るコンテキストにおいてはおそらくそんなに間違っていないのではないか? たぶん。おそらく。

オリジナルとはターゲット層が変わる場合が多い

  • あっちでは一般向けでも日本ではコア向けになったり (英語圏における FPS の存在感と日本におけるそれでは全く異なる)
  • 原作はラノベ読者に向けて最適化 (いい意味です) された作品になっているが、ラノベ読者がすべてアニメ視聴者なわけではないだろうし逆もまた同じ

自分が携わっている領域のターゲット層を的確に理解した上で、その層に訴えかけるモノを作らなければ意味がない。媚びるのではなく、原作が放つ輝きを Translate する作業を誰かが担当する。ここでの Translate は、「深い理解や自身の信念に従って別の何かに変換する」こと。

で、何が学べるのか?

わかりません! アニメ業界のこと何も知りません! にわかオタクですみません!ただアニメ業界のその辺の手法について知りたいことはたくさんあります。
知りたいのは......

  • 原作の理解を深めるために実際に行っていること
  • アニメ作品監督以下各種意思決定を担当している人たちが「何を考えて」「何をしたか」の具体例
  • ターゲット層の差を吸収・活用する上で「何を考えて」「何をしたか」の具体例

どうすればいい!? 知り合い作って聞けばいいのか!? TwitterZEROWORKS 氏を追いかけ続ければいいのか!?


オチもヤマも意味もないひどい記事になった気がするけれど、書くことで自分の考えてることが整理できたのでよしとしよう。次は具体的なアクションだ。まずは情報収集しよう。