字幕と吹き替え、悪口と楽園
先週末に 6 本ほど洋画 DVD を見たのだけれど (英語音声/日本語字幕)、
そのときに翻訳まわりで思うことがあったので書いてみたい。
まずは吹き替えと字幕の長所/短所。
吹き替え
長所
- 字を読まなくていいので見るのがラクチン
- (原語を話さない人にとっては)吹き替えの方が没入感がある (という人が多いらしい)
短所
- ルビ文字が使えないからダブルミーニングのところやシャレがまるっきりなかったことにされる
- オリジナル俳優の声の演技を一切聴けない
- 声優が外れると悲しい気分になる
字幕
長所
- ルビ文字を活用することでオリジナルの持つ言葉遊びをある程度反映させられる
- 原語の音声をそのまま使えるので、オリジナル俳優の演技をそのまま鑑賞できる
短所
- ずっと字を読むので疲れる/演技が見えない
- (原語を話さない人にとっては) 吹き替えよりも没入感がない (という人が多いらしい)
それで
僕は個人的に「原作の言わんとすることが日本語でそのまま表現できない場合は、知恵を振り絞って日本語で最も近い表現をあてたい」と考えています。
だからどうしても吹き替えでたまに見かける「原作にあるものが消え、ないものが足されている」手法が受け入れられないのです。もちろんそれは翻訳者のせいではありません。「吹き替え」であるせいです。例えば、うろ覚えですが、『Sex And The City The Movie』の冒頭で
字幕「NY に来る女の子はみんな 2 つの L を探している。Label (ブランド) と Love (愛) だ。」
吹替「女の子はみんなブランドと愛を求めて NY にやってくる」
こんな感じになっていました。
この L に大した意味はないでしょう。でも吹き替えしか見なかった人はこの L の存在を知らないままなのです。
それくらいならいいですが、オシャレなカンジの恋の駆け引きの最中、シブいオッサンがウィット全開の言葉遊びをかましても、全部無視されてクサイだけのセリフになっていたらそれはもはや違う人物じゃないですか。僕はそれがどうしても耐えられない。それでこの映画薄っぺらいとか言われてるととても悲しい気分になる。
もちろん字幕だって万能ではないんです、言語の壁は高く厚いですから。
例えば天国とかそういう宗教や神話がらみの単語って、英語では似たような意味の単語がたくさんあります。それぞれ少しずつ意味合いが違うのだけれど、日本語だとそもそも文化的背景としてそれを理解してくれる人の割合が少ないし、昔から訳し分けされていなかったりして、ぜんぶまとめて天国にされちゃったりする。そして響きが陳腐になる。「なんで外国人て何でもかんでも天国なんだよボキャ貧弱だな」とか言われてるかもしれない。実はすごく細かい意味の使い分けをしてるかもしれないのに。これも悲しい。
あとは悪口。バイオレント系エンタメ翻訳者は悪口を発明しなければなりません。かのハートマン軍曹のように。
日本語は現役で使われていて、かつ誰が誰に対しても使える (ここ大事) 悪口が非常に少ないと思います。日本語の悪口は多くの場合コンテキスト依存なので汎用性がないということでしょうか。こればっかりは原作をよく聴いて空気読むしかできないような気がします。
そんなことを考えていると、どうしても下の仮説と乱暴な結論が頭に浮かんでしまう。
仮説 1 :他文化圏で制作された芸術やらエンタメやらは、その文化を理解しようとしている人にしか十全に理解されない
仮説 2 :「理解しようと努めていない人」に他者がものごとを「理解させる」ことは出来ない
乱暴な結論: よその文化は好きな人しか真に楽しめない
さあ今日も楽しく頭を抱える作業に戻ろう。