GDC: 「楽しさの概念(Concept of Fun)」に関するミニトークセッション

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原典:

ゲームデザイナーは抽象的なアイデアをたくさん持っている。そしてそれは普通のGDCパネルの定義にうまく収まらないことが多い。今回 Richard Lemarchand 氏(Naughty Dog ゲームデザイナー) がこのマイクロトーク集をホストするに至ったのはまさにこの理由からだった。この記事では、ゲーム業界の思想家たちが10分ずつ「楽しさの概念(Concept of Fun)」について話すセッションのハイライトを紹介しよう。

John Sharp

  • Savannah School of Art and Design、Interactive Design 教授

Sharp 氏の選んだトピックは「遊び(Play)の優位点」だった。彼は聴衆に向けて「遊び」の歴史を説明し、プラトンソクラテスも「遊びの本質的な価値は調査に値するもの」と信じており、ローマの歴史家タキトゥスも「戦士達は賭博に取り付かれたように熱中しており、(賭博の)ゲームのためならば己の自由を賭してもかまわないと考えていたようだ」と記している、と述べた。また同氏は、日本発祥のゲーム「碁」はゲームに対する大きな敬意の表れであると述べ、「ゲームは人間に他では体験できないものを提供するもので、それこそがゲームの価値なのだ」と締めくくった。

N'Gai Croal

  • Hit Detection コンサルタント
以下、発言内容要約:

ゲームの難易度は、開発側で決めた選択肢を提供してプレイヤーに選ばせる時代ではない。Prince of Persia の評判が芳しくなかったのは(訳注:Ubisoftの人もパネリストなんですが...コレがGDC-wayなようです)、エリカが助けてくれるゲームメカニクスのせいでゲームエクスペリエンスの難しさをプレイヤーが制御できなくなってしまったからだと思う。

また、テンプレート的な難易度設定 (Easy, Difficult, Hard) はもう旧時代の遺物(化石)だ。ゲームの難易度設定は、リスクと報酬のバランスを見て明示的に選択させたり、プレイヤーの腕前に応じてリアルタイムに選択されたりするなど、プレイヤーによって選択されるようにするべきだ。

Clint Hocking

  • Ubisoft クリエイティブディレクター

Hocking氏はセッションで100点満点形式のレビューシステムに対する不満をぶちまけ、また100点形式の代わりに5つ星レーティングシステムを使用すべきと主張した。彼はこの他にも、100点形式のレビューシステムには「90崇拝(Cult of 90、スコア90点台を叩き出した開発会社やパブリッシャが自動的に「エリート」扱いされるようになること)」が存在しており、パブリッシャが開発会社にハイスコアを出すようプレッシャーをかけ、開発会社がレビュー担当者/会社にプレッシャーをかけ、スコアのインフレが起きている、と述べた。

以下、発言内容要約:

現在のシステムでは、最近のゲーム(『メタルギアソリッド4』と『GTA4』)のゲームはスコアを比較できても、過去作(『Splinter Cell』と『Splinter Cell Chaos Theory』)との比較はできない。自分が職務を果たすためにこの比較は必要なのだけれど。その点5つ星システムは上述のプレッシャーの一部をなくしてスコアのインフレを終わらせることができるし、そうして初めて「喜劇のように馬鹿げた軍拡競争」ではなく有意義で示唆に富んだ分析が可能になる。

Jenova Chen

  • thatgamecompany クリエイティブディレクター
以下、発言内容要約:

そもそもの始まりから、ゲームはテクノロジーを活用して作られてきた。このためゲームは、ちょうど初期の映画がそうであったように、テクノロジーを消費者に売り込むためにヒトの攻撃性や怒り、恐れといった原始的な感情に頼ってきた。しかし今後のゲームでは、「楽しさ」を彩る感情すべてを扱っていくべきだ。ゲームは僕らを笑わせたり、泣かせたりしてしかるべきだ。

今ゲームには、新しいユーザーエクスペリエンスが強く求められている。そしてそれが実現するかどうかは開発者次第で、私達が新しくて刺激的な方法を作り出し、「感情」、「社会的交流」、「知的な刺激」をゲームに織り込んで、ハードコア層だけでなくあらゆるゲーム愛好者に対して届けていかなければならないと思う。

Frank Lantz

  • area/code クリエイティブディレクター
以下、発言内容要約:

ゲームはMedia(メディア/媒体、ここでは媒体)ではない。ゲームがこれまでMediaと呼ばれてきたのはそれが他のエンターテイメントと比較しやすい方法だったからだ。ゲームはMediaだ、という考え方は、ゲームをプレイするときにDVDを再生するときと同じようにディスクをトレイに置くからであるが、ゲーム自体はコンピュータが発明される以前からあったし、コンピュータが無くなったあとも存在し続けるだろう。最終的には、いつかコンピュータ処理はゲームのフィーチャーの一部となる日が来るはずだ。

また、ゲームは消耗品でもない。ゲームをサービスとして捉えれば(Game As a Service)、収益を生むチャンスはたくさんある。ゲームはMediaではない。ゲームは、誰かのアイデアをある場所から別の場所に運ぶためのものではなく、開発者とプレイヤーがゲームシステムと会話するためのものだからだ。この点を推し進めてこそ本当の意味でのゲームの時代は訪れるだろう(訳注:最後の一文解釈自信なし)。