Audio Contents と文化の違い

FO3 をプレイしていて、今後のゲームローカライズに大きな影響を及ぼしそうだなと思った要素が「ボイスログ」だった。これは翻訳サイドとしてはかなりきつい。今日はまずこいつについて。

ゲームプレイと同時進行で情報が提供されるということ


LYE は個人的には、洋ゲーは字幕に限ると思っています。
これは「音声吹き替えだと世界観が」、とかじゃなくて「英日両方の表現が聴覚と視覚から同時に入ってくる」からなんですが、
http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20081101#p1:また君か。@d.hatena DEAD SPACE

ところで BIO SHOCK 以降トレンドになっていくんだろう的なフィーチャーとしてボイスログがある。ゲーム世界のいろんなキャラクタが、それぞれの状況で吹き込んだ音声ログが、探検していくあちこちに落ちているというやつ。その現行例的な実装のはしりなんじゃないかなーと印象に残ってるのは DC 版の PSO なんだけど、あれはまだ音声じゃないという点で伝統的な PC ゲーの「ターミナルにアクセスしてテキストログゲットだぜ」方式とあんま変わらんともいえるか。テキストだったものが音声になったこと、というその部分こそがエポックで、音声だと感情表現や状況描写の幅も広がるし(声のトーンや周囲の音、独白 or 会話など)、それになんといってもテキストだとそれ読んでるときにゲームの進行が止まっちゃうところ、ボイスログは拾ったその場で聞きながら先に進むことができるので足止め感がない。あと「いろんな人物のログをバラ撒いとく」って手法も良かった(その点でも PSO のテキストログはまだまだ前時代だったといえる、というか PSO のログは「アクション要素主導の RPG としておざなりになりがちのストーリーに一本筋を通すため」のものだったけど、BIO SHOCK のログは「メインストーリーはしっかり描きつつ、それを補完するメディアとしてボイスログをバラ撒く」という使い方で、アプローチが違う)。これによって世界のいろんな時間・空間・立場から様々な方向に光を当てて、ストーリーが立体的に浮き上がってくるし、世界住人の(文字通り)息遣いが伝わるのでリアリティ材として有用。

とまた君か。氏が言っておられるように、近年は「字幕を表示するだけでは英語版ゲームのゲームエクスペリエンスを提供できない」表現方法が流行しつつある。
こうなると、字幕派 吹き替え派とかって選択肢がなくなる。吹き替え一択。
ローカリコスト増大。中小パブリッシャ、リスクがコワくてローカリに手が出ない。

これはもう今世代は絶対に回避しようのない課題なので、これからも「リスク承知で気合で吹き替え」か「プレイヤーが気合で英語で遊ぶ」しか手が無いんじゃないかなと思う。

しかもラジオなんかの場合、ただあっちの DJ 口調を日本の DJ 口調にすればよいのではなく、ディラン&キャサリン的 (以下、長いので D&C 風)に、「(いささかステレオタイプであっても) あっちの DJ の吹き替え風」にしないと味がでない。

でもそれって映画でも浮いてしまうわけで、「自然な仕上がり」には絶対ならない。
# ヒュウー! スリードッグ ! あんたがんばってるぜ


ゲーム翻訳って「意味が通じるようにする」だけじゃスタート地点にも立っておらず、それを「英語版プレイヤーと可能な限り同じゲームエクスペリエンスを提供できるレベルにする」ことが仕事のメインみたいなものですから、この問題は結構重要なのです。少なくとも、情熱を持ってゲーム翻訳に従事する者としては。

ここらへん、考えた末に D&C 風にしても、普通にプレイする人たちにとっては「不自然さ」だけが伝わってしまうので「もうちょっと何とかならなかったのかよw」「翻訳調過ぎて萎えた」なんて言われてしまうんですね。
でも仮に日本の DJ 風にしてたとしたら雰囲気にそぐわないと思うのですよ。こういった不自然さは違う文化圏のゲームを持ち込む際には避けて通れない。

じゃあどうするよ?ってハナシなんですが、どうしようもない。
ああどうすればいいんだ。
結論がないのでここらで終わりにしておきます。
どなたか良い案があったらぜひ教えてください・・・。

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次は Joke や文化的な内容を翻訳する際に翻訳者が直面する苦悩について書いてみたいと思います。